阿久根、あの日みた海。|2023年ひとり旅回想録

プロローグ

2026年春、僕は就職のために生まれ育った鹿児島を離れ上京した。生まれて初めてのコンクリートジャングルでの営み。もちろん星など見えやしない。海だってずっと遠くに感じる。学生時代から一人暮らしだったけれど、いよいよ本格的な一人暮らしが始まったのだ。まあ、酸いも甘いもあるけれど、都会だって別に嫌な場所じゃない。だって自分で選んできたんだもの。そりゃ、自分で楽しくするしかないでしょ。見る視点、見えたものの解釈の仕方、それさえ変えればどんなものだって面白くなると思う。とか、強がってみたり。

ひとり旅回想録

こっちにきてから、めっきり写真を撮っていない。正確に言えば撮りたいと思う瞬間に出会えていないのかもしれない。思い返せばシャッターをたくさん切っていたあの時が、自分の糧になっている気がする。その証拠に、僕は複数人で旅をする時よりも、一人で旅をしている時の方が撮影枚数が多い。
うん、またいつかふらっと旅に出かけようかね。今回新たにブログを開設したことも兼ねて、これからの旅への思いを馳せながら、どこにも綴っていなかった旅の記憶をば。23年から25年まで、各年1回のひとり旅のハイライトを掻い摘みながら回想していく。

潮風にのって

肥薩おれんじ鉄道の車内

23年11月某日。鹿児島県は阿久根というまち。僕は、阿久根の海に惹かれてワーケーションに訪れていた。道中は肥薩おれんじ鉄道に揺られながら、キラキラと輝く東シナ海をぼんやりと眺める。光の粒が視界いっぱいに踊っていた。

東シナ海のきらめき

路上深海水族館

たしか阿久根に着いて早々、僕はその日のうちにとある漁港に向かったんだ。この漁港では、主に深海に生息している鹿児島名物ヒゲナガエビ(通称:タカエビ・薩摩甘海老)の水揚げが盛んで、それに混じって深海魚もいくらか水揚げされる。深海魚ってみんなどんなイメージだろう。多分、こんな感じじゃないかな(下記写真参照)。

でしょ。こんな感じでしょ。

ゴツゴツしてたり、トゲトゲしてたり、ヌメヌメしてたり。「どうやって食べるんだよ」と思うような奴らばかり。そう、お察しの通り、全部が全部人間が食べれるわけじゃないんだよね。ああ、正確には毒がなければ全部食べられるんだけど・・・そういうのって物好きしか買って食べないじゃん。僕とかがそうなんだけどさ。それじゃあ、この子達はどうするのか。一部は「未利用魚」「低利用魚」なんて言って、人の手間をかけることで美味しく加工し、ある種ブランディングされて人の口に入る。でも全部そんなことしてたら猫の手を借りても足りないので、肥料や養殖用の餌として活用される。ただ、みんなもびっくりの価格でしか取引されないから、これ用に仕分けするのも手間と言えば手間なんだけどね。捨てるよりよっぽどいいよね。多分、魚を獲る人で、好きで魚を捨てるような人はいないんじゃないかな。多分ね。

猫の手を貸せえええ(思わず逃げる猫)

そんな深海魚たちを、魚が大好きな僕は標本用にいくらか拝借させてもらった。漁師ってのはたいてい魚が好きな人のことが好きなのかな。商品になりにくいような魚は好きなだけくれる(時には商品になりすぎる最高のものもくれる!)。それで、下宿先の路肩でもらってきた子達を並べて選別した。

ああ、愛すべき深海魚たちよ。

なんだか申し訳ない気もしたけれど、深い深い海の底からはるばるやってきた子達を、こうして地上に並べる。ようこそ、人間の世界へ。惚れ惚れしながら観賞していると・・・

「!?」

地元の子がどんどん集まってきた。「君たちの家のすぐそこで水揚げされている魚だよ」と内心思いつつも、まあそんな見る機会ないわなと。むしろ、こうして魚に興味を持ってくれるだけで何だか嬉しくなってきた。おじさん、嬉しいよ。本当に。(当時はお兄さんだったはず・・・まだお兄さんでもいけるかな。)

いつまでもその好奇心を大事にね

こうして突如として「路上深海水族館」が始まったのであった。魚をはじめ、自然にはどこか人を惹きつける魅力がある。改めてそう思えた瞬間だったし、自分はこれからも魚を通じた活動を続けていこうと思えた日だった。今は魚とは無縁の仕事をしているけれど、これからも魚を愛し、魚のパワーを自分なりに届けていきたい。

また漁港へ

とある日はまた別の漁港へ行った。今回はセリの見学と、少しお手伝いもさせてもらった。

漁師の朝は早い

朝日の輝き、潮風の匂い、はぜる水飛沫、踊る魚たち、切り裂く怒号、そしてたまに聞こえてくる談笑。やっぱり、港の景色・音・香り、全てが好きだ。

艶かしい海
どこを切り取っても絵になる:part1
どこを切り取っても絵になる:part2
まるでファッションショーな長靴たち
次々とセリは進んでいく

たくさんの魚たちが水揚げされて、たくさんの人の手を渡って、私たちの食卓に魚が並ぶ。それを肌で感じることができるのが漁港だと思う。普通はなかなかいく機会がないと思うけど、食べることが好きな人はぜひ一度訪れてみてほしい。たまに市場見学ツアーとかもやってるから、そういうのに参加すれば良いと思う。できれば、大きい市場(消費地市場)じゃなくて、獲れたての魚を水揚げする市場(産地市場)だとなおよし。ありがたみを感じろとか烏滸がましいことを願うわけではなくて、きっと食に対して感受性が高くなると思う。それって楽しいことだと思うんだ。そうそう、水揚げされたばかりの魚をこうして間近で見るのもオススメ(下記写真参照)。

多分ゴマサバ
コウイカ
豆アジサイズのマアジ
アイゴ

エピローグ

この阿久根のワーケーションの最中に、僕は大きな挑戦を始めていた。今となってはもう辞めてしまったけれど、僕の人生にとってそれはそれは大層な出来事であり、たくさんの学びと経験を得た。本当に苦しい時に、支えてくれたのは魚を通じて出会った人々であり、魚そのものであった。阿久根で出会った人は、そんな挑戦の第一歩を支えてくれた人たちだ。阿久根のとある夜、僕が作った魚料理をお世話になった方々をお呼びして、みんなで食卓を囲んだ。僕の拙い手つきに付き合わせてしまったが、みんな僕の魚料理を喜んでくれていたと思う。ああ、なんて最高の夜だったのだろう。あの日の酒は旨かった。またいつか、あの町で乾杯したい。ありがとう、阿久根。

いつまでも見ていたい景色